素晴らしい未来にはうんざりです。未来予測の本を懲りもせずに読んでいたのですが、ここで著者が描く「未来の生活イメージ」が恐ろしくつまらない。例えば、朝食には「その日の活動に合わせてAIが提案する食事」だとか、「TPOに最適な洋服が提案され、自分用にきっちりと仕立てられたものが数時間後にどこにでも届けられる」だとか。最適、最適、最適。そんな未来を与えられたら退屈で脳死間違いなしです。
それは『2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ』(ピーター・ディアマンデス&スティーブン・コトラー)という日本では2020年に刊行された本で、450ページもあって辞書みたいな分厚さです。原題は【いかにして「技術の融合」はビジネスや産業や生活を変えるのか】という実直なものなのですが、邦題は結構に危機意識を煽る様なものになっていて、私ときたら見事にその戦略にハマりました。読み終わるのに結局2週間程度も時間が掛かってしまいました。
「技術の融合」とは複数の技術が組み合わされると技術の革新が更に進むことを指しています。例えばAI×AR、AI×既存の生産技術、AI×既存の移動に関する技術とか。
この本の内容は「今はこんなにスゴイ技術があって、既に実用化に向かっている」という実例の紹介があって、それから、これらが実現した「未来の実現イメージ」が簡単な物語仕立てで描出されるという構成になっています。内容は「買い物」「広告」「エンターテインメント」「教育」「医療」「寿命延長」「保険・金融・不動産」「食料」それぞれの未来に章が分けられて進んでいきます。
先端技術の紹介部分は「へぇ、そうなんだ」と会話の小ネタ用にも面白いのです。ところが「うんざり」してしまった理由は冒頭にも書きましたが「未来の実現イメージ」というのが恐ろしくつまらなくて、というか、まるで100年も前の人たちが空想した世界そのものなのです。みんなそんなもの欲しがっていたのかな。
そんな「古びた未来」で実現されることのキーワードは「最適」「個別」なのですが、自分の思考、というか嗜好に関わる部分というのは、いろいろな情報、選択肢の中から「偶然」の力を借りて、自分で決めたいなぁと私は思うのです。あまりに理屈やら流行やらに基づく「最適」「個別」ばかりをオススメされるのはうるさくてたまりません。「食事」も「エンタメ」も「服」も「旅行先」も。失敗してもいいんです。自分で探して、自分で選んだものならば。
とは言っても「医療」において個人の遺伝子や健康状態のデータから最適な治療法を提示されるなんていうのは大歓迎です。「食料」の生産、流通、加工技術が革新され、爆発する世界の人口を満たせるようになるのも大歓迎です。お腹がいっぱいならば、大抵の争いごとがおきませんしね。
けれど、自分の嗜好、自分の生活に関して「考える、選ぶ、決める部分」はそのままにしておいて欲しいと思うのです。というか、そんな未来では、自分がしっかりしないといけないんですよね。自分が自分でいて、先端技術による恩恵をうまく取り入れる、使いこなす。そうでなければ、「最適」「個別」「効率的」「便利」の奴隷になってしまいます。
そんなことを読者に考えさせてくれたのですから、きっと、この本はよい本だったのでしょう。著者の狙いどおりだったことでしょう。これから先、素晴らしい未来を見ることができるとしても、せいぜい30年程度しか時間がないことが残念です。十分か。