昔から「他人の不幸は蜜の味」と言います。私もネットを見ていて、ついページを開けてしまうのはどちらかと言えば「不幸」な記事です。それに、そもそも「幸せな記事」なんてほとんど見当たりません。まぁ、自分が不幸なときに慰めになるのは、自分より不幸な人がいることを知ることですから。

一点の曇りもない「幸せ」なんてものは恐らくはこれまでに存在したことはないのでしょう。いつの時代、誰にでも。まだ生存することすら困難だった時代は勿論、現在のようにあらゆるものが満ち溢れた時代でも「100%幸せ」なんてことはありません。

人は常に「不安」「嫌悪」をどこかに見つけてしまうからで、一つ不安がなくなったと思っても次から次に新しい不安が供給されてきます。まるで、「不安がないことが不安」であるかの様に。

悪い結果ばかりを考えてしまうと、いつの間にかそれが願いに変わって実現してしまうなんてことが言われたりします。一方で、あなたが考える心配の90%は起きない、とも言われたりします。どちらが真実でも「悪い結果」についてはあまり心配をせずにいることが得策です。悪いこと、起きるときは起きるので仕方がありません。

それで、自分の不幸を考えることだけでもお腹いっぱいだというのに、更に「他人の不幸」まで眺めていたのでは、体中がすっかり瘴気に毒されてしまいます。だから、本当はこれ、シャットアウトしたいんですけどね。

という訳で「他人の不幸」にまつわるニュースや記事、SNS、動画なんてものを、極力見ない様にする。「他人の不幸」だけでなく、イジワルな興味がそそられる情報にも距離を置く。試してみると、これ、私の情報浴のほとんどの成分が「こんなモノ」だったことが分かります。「こんなモノ」を避けてスマホやネットを渉猟すると、途端に見るものが無くなってしまいましたからね。情けない。

それで、しばらくは「不幸」「イジワル」を封印して、過ごしてみたいと思っているのです。好きな本を読んで、好きな音楽を聴く。幸せな情報だけを自分に取り込む。さてさて、どんな変化が起きるやら。結局は何日もせずに懐かしい「不幸の海」に舞い戻りそうですけど。

そうそう、集団を安定させるのに有効な手段というのは、メンバー間で「他人の噂話」をすることだそうです。本当は大して関心もないくせに「XXさんたらさぁ」とか、イジワルな視点でワイワイ騒ぐことで「集団の一員」として認められるのだそうです。困ったものですね、人間は。

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